スクールのコンテンツを作ることについて
おかげさまでアートワイヤージュエリーのスクールを始めてから20年が経ちました。
私の作風は多岐にわたり、リボンや昆虫、植物モチーフ、独特な石留め方法など、複数のテーマが存在しています。
「アートワイヤージュエリー」はワイヤーを使った装身具という事だけを条件としていて、それに外れない範囲で思いつく限りのバリエーションを広げてきました。
リボンならリボンのみ、昆虫なら昆虫のみ、石留めなら石留めのみを人生をかけて追求してもいいと思えるほど各テーマの奥が深くて、仮に人生80年が90年でも短かすぎる、と本気で残念に思います。
かなりの年数をかけて磨き上げてきた「シリカジュール技法」は、素材が入手できなくなったため積極的に追求できなくなりましたが、シリコンがなくても十分すぎるくらいの無限のフィールドが開けていて、改めてワイヤーの可能性に身震いしています。
さて、話が表題と外れてしまいました。
今回は、AWJスクールのテキストと動画を作ることについて思うところを書いてみようと思います。
やっている方にはお分かりかとは思いますが、作家活動だけをしている場合と、同時に人にお教えする場合では、肩にのしかかる重圧というものがぜんぜん違うと思うのです。
自分のために書く覚書きと、人さまにご説明するためのテキストでは、出来上がるまでの時間と熱量が桁違いに違います。
これまで様々な方に対して直にお教えさせていただいてきた経験から、テキストの一言一句の重要性、説明図のわかりやすさの重要性が身に染みています。その感覚は、これまで教室に通ってくださった会員様が育ててくださいました。本当にありがとうございます。
作り慣れた作品であっても、それをテキストに起こすとなると、何回かは改めて始めから作ってみて、必要な材料の分量を数字で割り出したり、手順を改めて見直してやりやすい方法を試行錯誤してみたりで、初挑戦の連続です。
無意識に意識の光を当てて明らかにしていく作業といいますか。
やりがいはすごくありますが、結構大変です。
ぱっぱっと早くできる人間ではないので、そうとうな時間と熱量がかかるのですが、その度に作品に対する理解が増します。
そうか~、この作品はこういうふうにできているのね~・・・と。
さらに、前の物よりもっとよい方法が見つかって、作品がグレードアップすることもしばしば。
「なんだ、もっと早くに気が付けばよかった・・・むしろ過去に銀座で販売していたものよりスクールのメニューの方がデザインも使い勝手も作りやすさも、上じゃん・・・」となることがよくあります。
冒頭にも書きましたが私の作品の作風は多岐にわたるので、作り方は覚えておらず、当初書いた覚え書きを頼りに「思い出す」ように作るのですが、
自分のために書いた覚え書きを読むよりも、会員様のために作ったスクールのテキストを観た方がよっぽど理解が早くて楽でして、
最近はもっぱらスクールのテキストを参考に作ることが多くなりました。
そのわかりやすさに、「・・・おぉ!」と、思わす、テキストを作ってくれた自分に感心、感謝することが多くなってきました。
そういうこともあってか、作品作りを追求するのと同じかそれ以上の熱量で、テキストと動画作りに向き合っています。
どんなに好きな事でも、楽な面ばかりではなくて、時々、
「もう嫌だ~!そんなに細かいところをそんなにしつこく追及しなくてもいいじゃない?いい加減にしてよ、わたし・・・!」
と、頑固な自分に嫌気がさして投げ出したくなることもあるのですが、
それをしてしまったら自分が納得できなくて、悲しくて苦しくて仕方が無くなってしまうということがわかっているので、逃げ場はありません。
逃げ場がないので仕方なく観念して向き合っていると、必ず、よいアイディアが閃いて、解決策が見つかります。
振り返ってみると、必ず、向き合えば何かしら道が開けてきた気がします。人生って面白いものですね。
でも、自分がこれまでにコンテンツ作りにかけてきた時間と熱量の割には、ついてきてくれる生徒さんは本当にすずめの涙です・・・。
これまで教室に来てくださっていた方はすでに手芸の先生をやっている方だったり、手先の器用さにそれなりに自信のある方が多かったと思いますが、その中でジュエリーの専門学校に通う方もいらっしゃいましたが、「学校よりもこっちの方が難しい!」とおっしゃっていたことを思い出します。
ということはつまり、一般的な手芸の世界において、AWJはかなり難しい部類かもしれず、しかも当時よりも精巧さが増している作品メニューは、見るからにハードルが高いのかもしれません。
「どうしても作り方を教えてほしい」と熱心にご依頼いただいたのをきっかけに始めた教室で、できるだけわかりやすいようにと意図してきたのですが、私自身の技術があがるにつれて教室メニューの技術も難しくなってしまい、かといって私は教室のために作風を変える(易しくしようとすると作風が全く変わってしまうか完成度が低くなってしまうので)気もなくて、つまりは教室「事業」としては厳しいものがあるのかもしれません。
でも、少ないとはいえ素質のある方はいらっしゃり、テキストと動画を活用してくださる方もいらっしゃることは事実です。
たとえ今、ついてきてくれる生徒さんが少ないとしても、私がいなくなった将来、どこかに「どうしてもこれの作り方が知りたい!」という方が一人でもいるかもしれないと、いまだ見ぬ誰かのためにも、テキスト作りと動画づくりに真剣に取り組んでいます。
人様のためにと思って作っているテキストで、自分も助かっています。ということは結局、人のためじゃなくて自分のために作っているのだと、はっと気が付いた今日この頃。
そのことをはっきりと意識できるようになったのはやっと最近の事で、それまでは結構、義務感で苦しみながらやっていた部分があったと思います。もっと早くに気が付けばよかった・・・。どうせやるなら、義務感でやるのはもったいないですね。これからは真剣に遊ぶつもりで取り組みます。
どんなお仕事でも、良い面悪い面あると思いますが、どんな理由があったとしても結局は自分で決めたお仕事です。
ご縁のあるフィールドで、些細なことであっても、問題解決の方法を探り、壁を突破していくのは達成感があるはずですね。
義務ではなく遊びだと思って取り組んだら、どんなお仕事(ブラックはダメですが)でもきっとバラ色でしょう。
よいお仕事を!