「感謝のワーク」
「風の時代とスピリチュアルと私」にて、このブログを開始するにあたり、精神的な面で喜ばしい変化があった、と書きましたが、
実は精神的な面で喜ばしい変化があった後に、現実でも、とても嬉しい変化が多々ありました。(プライベートなことなので書きませんが)
前回も書きましたが、これはひとえに「感謝」することが習慣になってきたからだな~、という実感があります。勝手に名付けて、「感謝のワーク」。
感謝することによるすごいパワーについて、「地に足のついたスピリチュアル」と言われているベストセラー作家、浅見帆帆子さんのこの動画は秀逸だと思います。↓
20年前からこういうことに取り組まれている、こんな素敵な方がいらっしゃるなんて知りませんでした・・・もっと早くに知りたかったです(TT)いやいや、何事も遅すぎるということはないですよね。自分にとってベストなタイミングで知ることができてよかったです♪
やり方としては、いろいろあると思いますが、私の場合、まずは「炎のワーク」で潜在意識のクリーニングをした後に、
(不満がたまったままだと、感謝の気持ちを持つのって、しんどいので・・・。)
「今日あった、嬉しくてありがたい事」という題名のメモ帳を作って、思いつく限りのことを徒然なるままに書き連ねていき、しみじみ「ありがたいな~」という気持ちに浸ります。・・・それだけ。
始めはとにかく、「当たり前」と普段思ってしまっていることを、無理にでもあげ連ねます。
例えば、朝起きて出かける間だけのことでも、
目が覚めた事に感謝。
布団があることに感謝。
心臓が動いていることに感謝。
息が普通にできることに感謝。
お家があることに感謝。
トイレに歩いていけることに感謝。
パンツを自分でおろせることに感謝。
ちゃんと排泄できることに感謝。
自分で歯を磨けることに感謝。
自分で着替えができることに感謝。
水道をひねればお水が好きなだけ出てきてくれることに感謝、等々・・・
よく考えてみると、当たり前だと思っていることも、少し視野を広げれば、それができない方々も多くいらっしゃるんですよね。自分で着替えができない方、自分でトイレに行けない方、生活用水のために毎日何キロも歩いて重たい水甕を運ばなくてはならない方、等々・・・。
億を超える引き寄せをされている方々も、「当たり前ゼロ感謝」の重要性を真剣に語っておられます。こういうこと、義務教育で教えてほしいですね・・・。
この「炎のワーク」+「感謝のワーク」は、今では小学4年の娘と一緒に毎晩行っています。
もともとは私一人でこっそりやっていたのですが、ある晩、不安と恐怖などネガティブな思いでいっぱいになって眠れなくなった娘に真夜中起こされたとき、眠い目をこすりながらも、「これはチャンス」と思いつき、炎のワークをさせたのがきっかけです。
以前の私なら、「なんでこんな真夜中に起こすんだ~~(イライラ)」と思い、適当なことを言い聞かせてまた寝てしまったと思います。しかし、「起こることはすべてにありがたい意味がある。ネガティブに思えることも即座にチャンスととらえて、ポジティブな意味づけをすることでポジティブな出来事に変換できる」ということをスピリチュアルの配信をしている方々から学んだ結果、こういう現実を引き寄せることができました。
子供は子供なりに、というか、自由がない分、ある意味大人よりも日常的にストレスを抱えています。
そんな子供の立場である娘を以前から案じていたのですが、そうか、子供にこそこれが必要だ!と思ってやらせてみたら、それがビンゴで、その晩から毎晩毎晩、このワークを楽しみにしている娘です♪
それがもう、この2か月途切れることなく続いています。何をやらせてもなかなか続かないのに・・・私がやらずに寝てしまっても、自分一人で勝手にやっています。「これをしないと、死ぬ」とまで言っています^^; いったいどれだけ普段から我慢して学校に行ったりしているのか・・・本当にお疲れさまです。
まずは、部屋を真っ暗にして食卓でロウソクを灯し、非日常を演出します。嫌なこと不安なことムカついたことなどを思い出しながら、紙に(文字ではなく)ぐるぐると線を書いて(書き殴ってという方が正しいかも)それをまるめてロウソクの火をつけ、鍋敷きを敷いたお皿の上に載せて、灰になるのを見届けます。
炎のワークのやり方にはいろいろあって、文字を書いて燃やすのもあれば、文字を書かずに思い出しながらぐるぐると線を書く方法もあって、私は文字のほうが効く感じがしますが、娘はぐるぐる書く方がよいようです。
これがまるで小さなキャンプファイヤーのようで、いつのまにか夫も参加して、今日あったことや本音をリラックスして楽しく語り合う場にもなりました。炎の持つ力って本当にすごいですね。
気が済むまで炎のワークをやったら、「今日あった、嬉しくてありがたい事」という題名のメモ帳に、思いつく限りのことを徒然なるままに書き連ねていきます。「とにかく何でもいいから、大したことないことでもいいから、感謝できることを書こうね」、と書かせはじめましたが、学校の宿題はいやがる娘も、これは必ず書いています。
これが1ページ書き終わったら寝るのですが、幸せな気分で眠りにつけるだけではなく、朝起きたとき、このメモを見返すと、嬉しくなって、よい一日のスタートを切ることもできるのは、新たな発見でした。願いを叶える必須条件の一つである「願いが叶った時と同じような嬉しい気分でいる時間を長く保つ」のは正直難しいのですが、これをルーティンにすると、そんな時間を毎日作ることができます。
自分が書いたものを読み返すだけでも嬉しくなるのですが、娘のメモをこっそり見ると(ごめんね、娘!)、考え方も成長しているのがわかり、さらに嬉しくなります。ある日などは、「〇〇ちゃん(自分)のママがよりちゃんでよかった。〇〇ちゃんのことをよく考えてくれている。そのことを考えるとマジで嬉しい。」などと書いてあり、身の置き所に困るくらいの喜びに包まれました・・・。
人生にはこんなに大きな喜びがあるのですね・・・まさに目から鱗。本当の幸せは外にあるんじゃなくて足元にあったんですね。
もちろん、さらなる幸せや成功を求めてもいいけれど、この今の足元の幸せに感謝しないままそれを求めても、心が満ちていないから、その先、どれだけのものを得ることができたとしても不満を持ち続けてしまい、本当の幸せを感じられないでしょうね。
これまで、足元の幸せに気が付こうとせず、ちゃんと感謝の想いを発していなかったから、引き寄せ難民をやってきたんだな~・・・というのを、不器用ながらもやっと会得しつつある今日この頃なのでした。