好きなことを仕事にすること、そして値段について

自営業をやっている方ならよくわかると思いますが、モノやサービスの値段をいくらにするかで悩まない人はいないのではないでしょうか。

値段によって、お客さんの反応、こちらを観る態度にも違いが出てくるので、20年以上自営をしてきた今でも、値段付けには神経をすり減らしています。いまだに慣れません。

この面倒くささに嫌気がさして「好きなことは仕事にしない」というポリシーを持つ人がいたとしても、決して不思議ではないと思うくらいです。

でも、世の中には、好きなことを思いっきり楽しみながら、それなりのサービス料を堂々と提示し、お客さんも気持ちよくそれに応じてくれる、という幸せな循環が回っている世界もちゃんとあります。

その幸せな循環に行くことができないのだとしたら、それは、自分の考え方、価値観に問題があるのかもしれません。

そもそも、私たちが生きているこの社会にはどうも、「好きなことで食べていけるほど世の中は甘くない」というような価値観が蔓延しているように感じます。

私自身、大学を卒業までしながら、修行も就職もしないで、まったくの独学で、とにかくこれ(ワイヤーアクセサリー)を作っていくと決めたときには、ずいぶん周りからそのようなことを言われました。

どうして、好きなことに没頭して生きていくことに対して、世間の風当たりが強いのでしょうか?

お金が稼げさえすればいいのでしょうか?だったら、好きなことで稼げれば問題解決、なのではないでしょうか?

この社会には、お金に関して話をすることをタブー視する空気があるようなのですが、今回あえてそれを破り、正直に書いてみようと思います。

私は今から四半世紀前、二十歳そこそこから、地べたでワイヤーアクセサリーを売りはじめました。

当時は一個200円とか300円、高くても1000円くらいだったかと思います。それから四半世紀経った今では、1万円前後はお安い方で、シリカジュール作品にいたっては十万円前後という具合です。

でも、私の値段をつける時のコスト感覚は、実は、作品一個200円で売っていたときと今とは、それほど変わらないのです。

つまり、それだけ、一つの作品にかける時間や注ぐ精神力が凝縮されてきているということなんです。

それから、作品は売ったらおしまいではなく、無くされたイヤリングの片方だけ売って差し上げたり、修理のサポートも責任をもって対応させていただいているので、その分の材料を在庫しておくコストとかいろいろ加味した上で、自分がご購入を感謝できると思うお値段を真剣に考えて提示しています。

昨年の個展では、二十歳そこそこで作っていた数百円単位のリングなども再現して出品してみました。「こんなにお安くていいの???」と目を丸くされましたが、そういうわけなので、低価格品であってもお安くしているつもりはないし、高価格品であっても値段を釣り上げているわけではないのです。(さすがに数百円のものの場合は修理などはできないとお断りの上ですが)

「手作りアクセサリー」というのは、元手が小さく始められるし参入ハードルが低いから、ライバルは多いです。
しかもアクセサリーというものは、衣食住のどれにも当てはまらず、いわば無くても生きていけるものですから、華やかでいいね~と言われる反面、それを売っていくというのは、相当に厳しい面があります。特に女性は生活感がありますから、コスト的に、めっちゃ厳しいわけです。

私も主婦の1人ですから、お客さんの値段に厳しくなる気持ちは本当にわかります。だから、無理に買ってもらいたいとはまったく思えなくて、営業も下手というか、お客さんをその気にさせるとかいうのも気が引けてしまう性格なので、商売としてはなかなか厳しいわけです。同業の方々を拝見していても、純粋に作家魂に燃えている人ほど、そういう傾向がありそうで、苦労されているようです。

でも、自分がちゃんと満足できて、ご購入を感謝できるお値段でないと、気持ちが下がって作る気力も起きなくなります。それで、作家活動を辞めてしまう人も多いんだと思います。時給1000円のアルバイトをしていたほうがよっぽど楽に稼げる、というのも、一つの現実的な考えではあります。

アクセサリーなんてものはぶっちゃけ「偽ジュエリー」に過ぎないという世間の価値観の中、100円ショップにだって気の利いたアクセサリーが山ほど売っている世の中にあって、「わー、きれい!」と目を輝かせながら寄って来てくれても、値段を見た途端「立派なお値段!」と揶揄されたりしながらも出店し続ける、というストレスに耐えられる人は、そんなにいない気がするんです。

不思議というか残念なのは、「これは、作るのにどれだけ時間がかかるんですか?材料が高いんですか?」と聞いてくる人がいることです。

例えば作品が絵画だとして、それに10万円の値段がついているとします。その画家に向かって「これは、描くのにどれだけ時間がかかるんですか?絵の具が高いんですか?」と聞く人がいるでしょうか?

手作り作品というものは、工業製品とは違い、一つ一つに作家が自分の時間と、時間では量の測れない集中力や精神力を注ぎます。しかもオリジナル作品となれば、デザインやカラーのアイディアを出すのに試行錯誤のコストもかけているので、機械のように決まりきった作業を淡々とやって、1時間でいくら、という風に単純に計算できるものではないんです。

絵画やオブジェなど、純粋に美術品として観てもらえるものであればそういう感覚も理解してもらいやすいのかもしれませんが、アクセサリーという、生活雑貨として安価に大量にあふれている分野において、美術品としての価値を認めてもらうのはなかなか厳しいのかもしれません。

それでも作品販売をやめない訳は、わかる人にはわかってもらえて、気持ちよくお買い上げいただけたという経験があるからです。

特に最近は、男性のお客様がまじまじと作品を見つめた上で価値を認めてくださり、高額でも「これだけ手がかかってるんだから当然」といってご自身のため、もしくは奥様のためにご購入くださっています。

その経験を得るようになれるまでには、これまで結構な積み重ねが必要だったのですが、それも今振り返ってみれば楽しい経験だったと思います。「作らなきゃ」と、半ば義務感から作ったものよりも、ピン!ときたアイディアをワクワクした軽い気持ちで(しかし労力はかけて)形にしたものの方が、人気がありますね。「ピン!」ときたアイディアを大切にする、これ、重要ポイントですね。

「好きこそものの上手なれ」とはよく言ったもので、人からお金をいただけるほどの価値を生み出すまでの試行錯誤の積み重ねを続けられるのは、それが好きでないと無理です。

だから、好きなことを仕事にする、ということは甘い考えでは決してなく、むしろ逆に、きわめて現実的で理にかなったことだと心底思うようになりました。

「苦手なことを嫌々やりながらお金がもらえるほど、世の中は甘くない。」

という方が真実なのではないでしょうか? 

あと、「好きなことを仕事にして、それで儲けようなんて考えはずるい(汚い)」

という価値観もあるようですね。

時間と体力は有限です。体力は寝れば回復するかもしれないけれど、生きている時間は有限ですよね。
しかも生きていくだけで食費も住居費も税金もかかりますよね。

好きなことであれ、それをするには時間や体力などのコストが当然かかります。

好きな事だからといって、信じられないくらい安い価格でサービスしたり、ヴォランティア精神でタダでやる人もいます。

私にもヴォランティアの経験はあるので、そういう方のお気持ちもよくわかります。そういう方は、感謝されるという対価や、自己満足という対価は得ているのかもしれません。

でも、お金を媒体にして回っていく今の社会の中にあっては、それで生活していくことはできませんよね。

どんなに時間をかけて真心こめて作ったものであっても、相手の人は、ただでもらったものだから価値は低いと勘違いするかもしれません。

欲しくもないのに貰ってしまい、かえって迷惑だ、と思われることもあるかもしれません。

生活に余裕のある恵まれた方なら可能なのかもしれませんが、対価をもらわない代わり、自分はだれかに扶養してもらうとか、家族生活を犠牲にするとか、必ずどこかにしわ寄せが来るはずです。

「価値の提供をして、その対価として自分が心から納得できる金額のお金をもらう。」

それは、お金を媒介として社会が回っているこの世の中にあっては、フェアで健全なことだと思うのです。

当然、人からお金をいただけるほどの価値を生み出すまでは試行錯誤や失敗の積み重ねを続ける必要もあり、そうなれるまでの間は、アルバイトで食べつないでいくとか、誰かに生活を肩代わりしてもらうのもOKだと思います。こんなことを書いている私だって、たくさんの人のお世話になりながら、なんとかやらせてもらってきました。

今、どんなことをしていても、あきらめさえしなければ、いつか必ず好きなことで収入を得る道は開かれるし、それまでの過程も楽しめると思うのです。

好きなことは人の数だけ種類がありますよね。何も芸術系だけじゃなくて、機械が好きな人、料理が好きな人、植物が好きな人、動物が好きな人、お掃除が好きな人・・・人はみんな何か、その人だけのやりたいことがあってこの世に生まれたんだと思います。

あなたが好きで苦も無くできることは、他の人にとってはとても難しい事であるということは、もっと意識してみてもいいと思うのです。

全ての人が自分の好きなことを極めて提供しあえば、我慢や苦労を一切感じずに素晴らしく豊かな世の中が花開いていくと私は信じています。

ここまで読んでいただきありがとうございました。

楽しい人生を!